博多人形とは
About us
博多人形、その物語。
博多人形の歴史は古く、1600年黒田長政の筑前入国に伴って多くの職人が集められ、その職人たちから素焼き人形が生れ、現在の伝統工芸の礎がつくられたといわれています。
江戸時代の後半に正木宗七(焼)や、中ノ子吉兵衛や白水武平といった名工たちが活躍して業界は活況を呈し、全国に流通するようになりました。
明治になりパリなど国際的な博覧会で高い評価を受け、日本を代表する人形として「博多人形」の名で知られるようになり海外へも輸出されるようになりました。
明治30年頃に主だった博多人形師たちが「温和会」の名のもとに毎月定例会を催し、各自の作品を持ち寄って意見交換を行っていました。その活動によって作家たちは競って近代的な作品を生み出しました。明治の名工と呼ばれる白水六三郎もメンバーの一人で、彼の工房からも多くの作家が輩出されています。
現在、博多の街角で人々は人形師の鼓動に出逢う事ができます。
博多の街のあらゆる所でレリーフや催事、施設などが存在します。
それぞれの歴史や背景を知るにつけ、博多に根づく博多人形への熱い思いが伝わってきます。
博多人形師と祇園山笠
人形師が魂を込めて作りあげる山笠人形
7月1日。博多の街は一気に山笠一色になります。街の要所要所に飾り山が設置され、道行く人々がその豪華絢爛な出来栄えに感嘆の声をもらします。
この飾り山とともに、街中を疾走する舁き山が人々の興奮を掻き立てます。
約760年の歴史を持つと言われる壮大なドラマ。博多祇園山笠はまさに、博多人の心に烙印のごとく刻み込まれて今日まで脈々と受け継がれてきました。
この二つの山笠、飾り山と舁き山の制作にあたるのが博多人形師です。
本来、博多人形は土による素焼人形として知られていますが、山笠の飾り人形は木、竹、和紙、布などを材料とする細工人形。
永享9年(1437)、京都から招かれた細工物師小堀家によって伝えられたとされ、博多人形における第二の系列として人形師の重要な仕事の分野となっています。
博多人形ができるまで
Process
博多人形ができ上がるまでには、伝統的技法によるいくつもの工程を必要とします。
原型
作者が構想を練り、デッサンしたものに基づいて原型をつくります。粘土に、頭、胴、手足などを彫るように仕上げていきます。
01
型とり
原型に石膏で型を取ります。人形の姿が複雑な作品ほど数多くに分けて型とりを行います。
02
生地づくり
原型から取った石膏型に、粘土を指で強く押しつめ原型と同じ人形を作ります。
03
彩色~さいしき~
焼成した生地に胡粉などで、肌の部分を塗り、次に着物の模様や帯などの部分を書き込んでいきます。
04
面相~めんそう~
面相筆を用いて「口紅入れ」「目入れ」「まゆ毛かき」など博多人形の生命ともいえる表情をつくりあげていきます。
05
完成
写実性に富んだ「美人もの」と呼ばれる博多人形の出来上がりです。
06
博多人形 昨日・今日・明日
いままでも、そしてこれからも
福博の地で活き続ける博多人形の未来。
新たな展開を魅せる「大きい博多人形」
公共の施設・ホテル・駅・空港のロビーやコンコースなど、多くの人々が遠くからでも鑑賞できる本来の魅力を再確認。
『卑弥呼』
幸子作 150cm
博多駅中央改札口内
『羽衣』
信正作 130cm
福岡国際会議場正面入り口